補足トリビア
ウィルヘルム・プラーゲ博士

 昭和初期,著作権使用料の取立業を始め,「プラーゲ旋風」という騒動を起したドイツ人。
 わが国において著作権概念が普及するきっかけとなった。
 1922(大正11).3〜1925(大正14).6,旧制松江高校でドイツ語の教鞭をとっている。博士が暮らした,松江高校外国人官舎は,今も城下町のなかに残されている。

大正11年4月,大根島にて
ウィルヘルム・プラーゲ(Wilhelm Plage)博士関連年表(1888〜1969)

年月日 プラーゲの出来事 関連事項
1888(明治21).10.8 ライヒェンベルグ市にて生誕。父はプロシア国籍の商人。
1899(明治32) ベルヌ条約に適合した著作権法を我が国も制定,7月に施行,条約に加盟する。
1908(明治41) ベルリンのアンドレアス実業高等学校卒業。ベルリン大学で法律経済学,日本語を学ぶ。
1910(明治43) 日本語通訳試験に及第。
1912(明治45).2 ナウムブルク控訴院にて第1法律国家試験に合格。

1912(明治45).6
1913(大正2)

東京のドイツ大使館,に勤務。

1913(大正2)
1914(大正3).8

長崎領事館に勤務。
1914(大正3).8 離日。 第1次世界大戦(1914〜1918)
1917(大正6).2 ワシントンのドイツ大使館に勤務。
1917(大正6).6 陸軍中尉として野砲兵隊に所属し,西部戦線マルヌの会戦で戦闘。一級二級の鉄十字勲章を授受。
1919(大正8) 外務省に復帰。
1920(大正9) 在日本ドイツ大使館副領事。
1921(大正10).8 ドイツ外務省退職。

1922(大正11).3
1925(大正14).6

旧制松江高校(現島根大学)のドイツ語教師。
1922.6 結婚
1922 三瓶山で初めてスキーを披露する。
1925(大正14) ドイツに帰国。
1927(昭和2) ハンブルグ大学で「現行日本民法における家族関係」をテーマに博士号取得。
1928(昭和3) 3度目の来日。旧制松山高校(現愛媛大学)に勤務。

1929(昭和4).4
1931(昭和6).3

旧制一高(現東京大学教養学部)でドイツ語教師

1930(昭和5).3〜
1933(昭和8).12

旧制府立高校(現首都大学東京)でドイツ語教師
1931(昭和6) 東京に著作権管理団体「プラーゲ機関」を設立。放送局やオーケストラ等,楽曲を使用するすべての事業者に楽曲使用料の請求を始める。「プラーゲ旋風」と呼ばれる。
1932(昭和7).7.22 NHKに音楽放送の著作権使用料を請求。月極め600円の外国曲使用料を支払わせる。
1933(昭和8).8.1 プラーゲの月極め使用料値上げ要求をNHKが拒絶。欧米の曲が,NHKで1年近く放送されなくなる。
1934(昭和9) 著作権法改正。(放送局にてレコードで音楽を演奏する場合,出所明示を条件に自由とする)
1937(昭和12) 「大日本音楽作家出版者協会(山田耕筰等が所属)」を設立。
1939(昭和14)

「著作権に関する仲介業務に関する法律」を制定。「大日本音楽著作権協会(今日のJASRACの前身)」「大日本文芸著作権保護同盟」が誕生。

1940(昭和15).10 「大日本音楽作家出版者協会」解散。
1941(昭和16)

奉天市(瀋陽市)に開設した東亜コピライト事務所の行為が仲介業務法違反に問われ,罰金600円の判決を受ける。
貨物船でドイツに帰国。

太平洋戦争開戦
1969(昭和44).6.19 死去。

参考文献
島根大学所蔵『松江高等学校・旧職員履歴書綴』
大家重夫『改訂版 ニッポン著作権物語-プラーゲ博士の摘発録』青山社 1999年
大家重夫『著作権を確立した人々』成文堂 2003年
森哲司『ウィルヘルム・プラーゲ―日本の著作権の生みの親』河出書房新社 1996年


関連リンク
ウィルヘルム・プラーゲ(Wikipedia)
「プラーゲ」はてなダイアリー
日本音楽著作権協会(Wikipedia)


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