バークレー・バックストン(Barclay Fowell Buxton)

 バークレー・バックストンは、イギリスの宣教師で、日本の福音派の源流の一つ「松江バンド」を作って布教に努めた人物として、海外でも知られています。

 明治24(1891)年に来松し、1893年、松江市北堀町の赤山(現在の大本島根本苑)を拠点にして、伝道活動、聖書講義を行いました。

 聖書講義内容は、『赤山講話』として出版されています。

 1893〜1894年、婦人宣教師エミー・カーマイケルが、バックストンの元で15ヶ月間働いています。

 1897年には、宣教師パゼット・ウィルクス夫妻が、バークレーの招きで来松し、伝動活動をしました。


 こうした布教活動は、明治時代のわが国で福祉事業に尽力した様々な著名人にも影響を与えたようです。

【関連サイト】

Wikipedia(バークレー・バックストン)≫
Wikipedia(Barclay Fowell Buxton)≫


関連スポット】
・『赤山講話発祥の地。明治・大正・昭和初期のバックストン邸跡(現・大本教島根本苑)≫
・バックストン幼児の墓≫


1. 若き日のバックストン
2. バックストンご一家
3.バックストンと信徒の方々
(明治35年、赤山のバックストン邸にて)

玄関には、英国国旗と日本国旗が掲揚されています。
日本で最初に孤児院を創設した石井十次(児童福祉の父)、福田平治家族(山陰社会事業の父)などの姿が見えます。

その後、バックストン邸には、後任で甥のギルバート・バークレー(バークレー銀行御曹司)が暮らしました。ギルバート・バークレーは、昭和11年、島根大学旧奥谷宿舎(旧制松江高等学校外国人宿舎)に宿泊した記録もあります。

4.牧師館での集合写真
明治44年クリスマス、牧師館<現・
島根県物産観光館>にて)

明治38年、福田平治が創った私立松江盲唖学校として2年間、使われた場所です。
バックストンのほか、日本盲唖連盟をつくった藤本敏文、岡山孤児院の石井十次など、歴史に残る有名な方が沢山写っています。


5.バックストンと信徒の方々
(興雲閣にて)
6. 『赤山講話』
明治34年12月発行
印刷は、山陰社会事業の父・福田平治
【写真・資料提供】福田良子氏

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