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小学教員伝習所~島根師範学校 教官

小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン(ヘルン)) 1850~1904
 作家・日本研究家。
 1890~1891年、島根県尋常中学校(現在の松江北高等学校)・島根県尋常師範学校(現在の島根大学教育学部)の英語教師に従事。
 関連HP:ラフカディオ・ハーン・データベース

錦織竹香(にしこおり・ちっこう) 安政元(1854)~昭和20(1945)
 女子教育者として多大な業績を残す。本名・久美。斐川町出身。
 女性では稀な従四位勲四等瑞宝章を賜る。
明治17年,島根師範学校七等訓導。
明治26年,島根県尋常師範学校高等女学校家事科教員免許状などを下附される。
明治35年,島根県師範学校教諭。
明治40年,島根県女子師範学校教諭。
明治42年,奈良女子高等師範学校(現在の奈良女子大学)教授。

市川 晃(いちかわ・あきら)
 洋画家。
 市川深渕(しんえん)の長男として愛知県御津町で生まれる。
 東京高等師範学校(現在の筑波大学)を卒業後、島根師範学校、愛知第二師範学校に勤務し、1967~1986年まで愛知教育大学教授、1986~1995(平成7)年まで岐阜聖徳学園大学教授。長年にわたり美術教育の発展に尽力する。

●加藤義成 明治38.11.10~昭和58.3.23
 『出雲国風土記』研究の第一人者。
 雲南市加茂町に生まれ,昭和3年,島根県師範学校専攻科(甲組文科履修)卒業。小学校訓導を経て,三刀屋中学校,益田農林学校,島根師範学校教諭,教授となる。
 昭和26年より,島根県嘱託,島根大学文理学部非常勤講師,大社国学館講師,島根県文化財保護審議会委員,島根県立博物館専門員などを歴任。
 編著には,『中央出雲方言考』『古事記参究』『校本出雲国風土記』『校注出雲国風土記』『風土記にみる古代出雲びと』『出雲国風土記考究』などがある。




小学教員伝習所~島根師範学校 OB

福岡世徳(ふくおかつきのり) (1848~1927)
 初代松江市長として、近代松江の発展に尽力。松江市北堀町出身。
 1848年、松江藩砲術士として、第一次・第二次幕長戦争、戊辰戦争に従軍。廃藩置県後、島根県官、教員、自由民権運動に参加などを経て、1889年~1911年、松江市長を務める。1912年~1914年、衆議院議員。立憲政友会所属。墓所は、松江市北霊苑にある。
 小学教員伝習所の第1期生(1875年入学)。
 ≫日本人名大辞典


野津左馬之助(のつさまのすけ) 1867~1943
 島根県史の編纂で大きな功績を残す。「前方後方墳」の命名者として日本考古学史のなかでも著名。
 1888(明治21)年、島根県尋常師範学校入学。
 ≫日本人名大辞典


山脇房子(やまわき・ふさこ) 慶応3(1867)~昭和10(1935)
 著名な女子教育者。松江市北堀町出身。
 明治12年,島根県女子師範学校に入学。明治14年,上京し,結婚,明治36年,「実修女学校」初代校長となる。
 「実修女学校」は,明治39年,「高等女子実修学校」となり,明治41年,「山脇高等女学校」,昭和23年,「学校法人山脇学園」となり,今日にいたる。
 「愛国婦人会」などの理事として社会活動でも功績を残し,昭和2年,ドイツ国政府より赤十字第二等名誉章を贈られている。


福田ヨシ 1872~1912
 現在の島根県立盲学校,島根県立松江ろう学校を設立した教育者。鳥取市生まれ。
 1890年,島根県尋常師範学校女子部を卒業。
 八束郡本庄小学校訓導を経て,京都盲唖院助教諭となる。
 1905年,松江私立盲唖学校を独力で創立。


天野雉彦(あまの・きじひこ) 本名・天野隆亮,1879~1945
 児童文学者。
 津和野町生まれ。明治23年,島根県尋常師範学校を卒業,益田町立小学校訓導,島根師範学校付属小学校訓導を経て,明治38年,上京。久留島武彦の「お伽倶楽部」に参加し、坪内逍遙の指導を受ける。
 童話と講談の中間である独自の話風の口演童話家として活躍し、児童文学の普及に貢献。
 徳川夢声は甥。


嘉本周石(かもと・しゅうせき) 1889~1976
 画家。
 明治42年、関西における南画の大家で帝室技芸員・森琴石(もりきんせき)に師事。研鑽しながら画家への道を歩み始める。
 大正9年(1920)、帝国芸術院第二回美術展覧会(帝展)に斐伊川の風景をテーマにした「落照」「雪暮」を出品し,異例の同時入賞を果す。


小柴 博
 日本ボーイスカウトの創始者。
 津和野町出身。明治36年,島根師範学校第三種第二種講習生となる。
 津和野小学校教員をした後,上京,大正11年,ボーイスカウトを創設する。


吉岡隆徳(よしおか・たかよし) 1909-1984
 昭和初期の陸上短距離選手。島根師範学校,東京高等師範学校を卒業。元東京女子体育大学教授。
 簸川郡西浜村大池(現在の出雲市湖陵町大池)で生まれる。小学校卒業後、吉岡家の養子となる。 大正13年、島根県立杵築中学校から島根師範学校に転校し、100メートル走で次々と記録を更新した。
 1932年,第10回ロス五輪、陸上100mで6位入賞。スタートセンスが抜群で、60mまではトップを走る。 日の丸の鉢巻をしての力走で、「暁の超特急」と呼ばれる。
 1935年,10秒3の世界タイ記録を打ち立てた。100m走での世界記録保持者となったのは日本人およびアジア全体でも吉岡だけ。