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インターネット常設展示「島根大学の履歴書」
-1.島大周辺は古墳のメッカ


島根大学(松江キャンパス)周辺の古墳分布図
国土地理院平成15年発行2万5千分の1地形図(松江)をもとに作成


菅田ヶ丘古墳(学生食堂横)

説明表示板より 菅田丘古墳(礫槨)

 この構造物は1958年5月、本学敷地工事の際撤去された菅田丘古墳の内部主体を移転の上復元したものである。
 菅田丘古墳はこれより西方約50メートルの丘の上にあった本体長さ約30メートル、高さ約3.5メートルの古墳で、後世かなり変形されていたが、前方後方墳のおもかげをとどめていた。主体構造はその後方部やや東南寄りに位置し、竪穴式石室を簡略にした一種の「礫槨」である。この種のものは、島根県下ではこれを含めて二例しか発見されておらず、他の一例である田伎町経塚山古墳の場合はすでに破壊されて現存しない。
 この礫槨は136個余の石を組みあわせてつくられており、床面は頭部を置く北方がやや高い。発掘時に副葬品として床面両腕の位置から水晶およびガラスの玉類が検出され、また斜面にはかなりの円筒埴輪片の散布が認められた。この古墳の築成時期は五世紀後半の頃と推定される。
 この主体部は1958年発掘後、有志の手によってこの位置より東方約30メートルの位置に移転・復元されていたが、1976年校舎改築を機に、本学考古学研究会の手により、発掘当時の図面にもとずいてこの位置に再移転・復元したものである。 1976年8月  島根大学


 島根大学の周りには、5世紀後半から6世紀にかけての著名な古墳がたくさん残っています。

 キャンパス内の北西部にある高台(現教養棟)には、かつて薬師山古墳菅田ヶ丘古墳がありました。

 学生食堂の横には、関係者の尽力によって移築復元された菅田ヶ丘古墳の様子を見学することができます。

 また、グランドの東側にある、全国的にも著名な金崎古墳群(国史跡)は、5世紀後半における大学一帯の社会を知るうえで重要な位置を占めています。

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金崎古墳群
薬師山古墳
菅田ヶ丘古墳
菅田小丸山古墳


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