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旧奥谷宿舎に暮らした先生方 |
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1.旧奥谷宿舎に暮らした先生方 島根大学旧奥谷宿舎は、旧制松江高校の外国人教師用に建設されました。現存する1号官舎は、ドイツ語の先生が暮らし、戦後、島根大学に引き継がれてからは、アメリカ人の先生も暮らしておられました。
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2.著作権の父 ウィルヘルム・プラーゲ博士 1922年〜1925年、旧制松江高校でドイツ語の教鞭をとりました。日本語が堪能、授業は厳格で生徒から恐れられていました。 その後、東京で著作権使用料の取立業を始め、「プラーゲ旋風」という騒動を起こしました。彼の著作権団体には、山田耕筰も所属していました。現在、わが国における著作権概念普及のきっかけとなった人物として、改めて評価されています。 |
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松江高校時代のプラーゲ先生(大正11年4月,大根島にて) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3.ラフカディオ・ハーンの愛した 1925年9月末、フリッツ・カルシュ先生は、旧制松江高校ドイツ語講師として憧れの松江の地を踏み、この宿舎に暮らしました。 |
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カルシュ先生(旧奥谷宿舎庭にて,昭和13年頃) |
カルシュ先生ご一家(旧奥谷宿舎庭にて,昭和13年頃) |
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4.永井隆とカルシュ先生 “長崎の鐘”で知られる永井隆博士は、大正14(1925)年、旧制松江高校に入学し、カルシュ先生からドイツ語を教わっています。 |
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永井隆博士 (旧制松江高校入学時、大正14年) |
旧制松江高校卒業集合写真 (昭和3年) |
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6.日独文化交流の懸け橋 ハンス・シュワァルベ博士 旧制松江高校退任後の1961(昭和36)年〜1975(昭和50)年、東京で駐日ドイツ大使館報道官を務められました。この間、東京のオーアーゲー・ドイツ東洋文化研究協会(OAG)の会長も務められ、1975年には、日本とドイツの文化交流に顕著な貢献をされたことが認められて、勲三等旭日中綬章を受賞されました。 また、帰国後は、独日協会事務局長を務められました。 |
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シュワァルベ先生 (松江にて) |
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5.島根県の英語教育の父 バーソルド・アロンスタイン博士 新制島根大学に受け継がれた昭和26〜31年、バーソルド・アロンスタイン博士という米国から派遣された島根大学文理学部の先生が暮らしていました。 アロンスタイン先生は、毎週水曜日、旧奥谷宿舎のダイニングルームで島根大学の教官・学生・市民などを招いて英会話教室を主宰され、その温厚な人柄から「アロンさん」という愛称で親しまれていました。 アロン先生に英会話を習った学生たちは、その後、アメリカに留学したり、県内の英語教師になるなどして、ご活躍されました。 |
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アロンスタイン先生 (昭和27〜28年頃、旧奥谷宿舎にて) |
アロンスタイン先生ご一家 (昭和27年4月、旧奥谷宿舎前にて) |
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