松江城から島根半島東の美保関までは,江戸時代の幹線道があり,「松江美保関往還」と呼ばれています。
松江城を出た往還は,武家屋敷が多かった北殿町,北堀町を通り,商工業で栄えた石橋町に到ります。石橋町の北隣り・奥谷町には国登録文化財・島根大学旧奥谷宿舎(旧制松江高等学校外国人宿舎)があります。
さらに進むと,赤崎観音付近の切り通しを抜け,菅田町にはいります。菅田町には,1790(寛政2)年,松平治郷(はるさと)が作らせた茶室・菅田庵をはじめ,貴船神社,極楽寺などがあります。
さらに,小山を越えると西川津町にはいり,島根大学(松江キャンパス)のグランドを横切って,金崎古墳がある丘陵の下へと通じます。
ここから先は,現在の国道431号線と一部重複しながら,本庄の町,中海北岸,境水道北岸を通って港町・美保関に到ります。
参考文献
島根県教育委員会『松江美保関往還・松江杵築往還・巡見使道』島根県歴史の道調査報告書第10集 1999年
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